おしらせ

作者ノート②ナラティブについて

今回の作品では「ナラティブ」という言葉が出てきます。
ビジネス界隈の方々が使っているのを耳にして、頭の片隅にあったものです。

僕の完全な偏見ですが、カタカナ用語をまくし立てる人って、うさんくさいなあ、と思っちゃうんですよね(笑)
アジェンダ、アサイン、スキーム、マイルストーン。最近では「フェーズ」ってよく聞く感じがします。
「次のフェーズに入りましたよね」みたいな。
いや、「次の段階に入りました」って普通にわかりやすく言えよ、とか思ってしまうのです。
使っている人、ごめんなさい。完全に僕の偏見です。

では、なぜうさんくさいと思っちゃうのでしょう?
カタカナ用語って、わかる人の間ではパッとイメージしやすく、便利なのかもしれません。でも、知らない人は「なんのこっちゃ?」となるじゃないですか。
その、ある意味閉鎖的な言葉をあえて使うことに、僕は相手の下心を感じてしまうのです。
単にカッコつけたいだけなのか。あるいは、あえてわかりにくい言葉を使ってケムに巻こうとしているのか。

ビジネスって、いやーな言い方をすると、相手を騙して買わせてなんぼ、ですものね。
いや、意地悪な言い方だな。
相手をその気にさせて、購買意欲をわかせることが必要、くらいにしましょう。
まあ、そういうことじゃないですか。

「よくわからないけど、なんかすごそう」
「よくわからないけど、なんかよさそう」

そう思わせることに、僕はちょっと警戒してしまうのです。
きちんと納得した上で買ったり、何らかのアクションを起こしたりすることは、もちろん悪いことではありません。
けれど、よくわからないまま「なんかよさげ」と流されてしまうのはよくない。
僕自身が流されやすいタイプなので、余計に警戒心が働いてしまうのかもしれません。

今回登場するナラティブとは「物語」や「語り」と訳される言葉です。
物語といえばストーリーという言葉がありますが、ナラティブはまたちょっとニュアンスが違うようです。

心理、医療、社会学、政治、ビジネス、マーケティング、いろいろな分野で使われているので、定義も様々ですが、僕は「同じ事実でも、誰がどこを切り取って、どう意味づけて語るかによって全く違うものに見えてくる」という意味で捉えています。

たとえば、ただの野菜でも、誰が、どんな思いで作ったのかを知れば、少し特別な野菜に見えてくる。
ただの古い道でも、そこに誰かの思い出や伝説があれば、ちょっと歩いてみたくなる。
それは素敵なことです。

ですが、事実そのものは嘘じゃなくても、都合のいい部分だけを選んで魅力的な物語にしたら、それは嘘ではないのでしょうか?
SNSの切り抜き動画なんかを想像してもらったらわかりやすいかもしれないですね。
そこの発言自体は嘘じゃない。でも、切り抜いて、並べ方によっては全く違うものに見えてしまうかもしれない。

僕自身も物語を書いている人間です。
こうやって作品についての文章も書いて、「なんか面白そう」と思ってもらおうとしている。
でも、実際の芝居を見て「あれ?書いてることと違うやん」ともしかしたら思われることもあるかもしれない。
なぜなら、この文章だって作品を客観的に説明しているわけではなく、僕がこの作品をどう見て、どう位置づけているのかを書いているからです。
そう考えると、これも一つのナラティブかもしれません。

では、これは嘘なのでしょうか?もちろん僕は嘘とは思っていないし、ここに書いてあるようなことが芝居には含まれていると解釈している。
じゃあ、誰が嘘なのかそうじゃないのかを決めるのでしょうか。

僕もあの手この手で芝居の魅力を伝えようとしています。
皆さんに観に来てもらいたいですからね。

おっ。人のことを「うさんくさい」とか言ってられないですね。

それでもやっぱり、カタカナ用語をまくし立てる人には警戒してしまうんですけどね(笑)
たぶん、僕が下心満々だから、他人のことがよくわかるのだと思います。

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